「常識を打ち破れ」という言葉を聞く機会が多くなるということは、これまでの常識が通用しなくなった証といえるのかもしれません。もちろん世の中の変化に限らず、社内に大企業病やお役所仕事の蔓延が見られるようになると、構造改革の必要性が叫ばれます。もっともサラリーマンの場合には、元々会社に忠誠を誓うのと引き換えに、会社から一定の身分保障を与えられるという見返りを期待しているものですが、フリーランスの場合にはそのようなしがらみはありません。一昔前の価値観で、良い大学を出て良い会社に就職することで幸せになれると未だに信じているのであれば別ですが、バブル景気の崩壊によりその価値観も揺らぎ始めたことから、他人と違っていても良いというフリーランスの考え方が、広がる兆しを見せています。
確かにお互いに知らないもの同士がビジネス上の一定の取引関係に入るという場合に、いわゆる常識を持ち合わせている事は、その後の流れをスムーズにする上で大切なことです。ビジネスに信頼関係は不可欠であり、そこに同じバックグラウンドをもつ者同士の強みがあります。そのため例えば、時間やお金にルーズであるなど、全くの非常識では通用しないでしょう。
しかしそれも程度問題であり、自分にとっての常識が相手にとっても常識がどうかは、自分が思うほど確かなものとは限りません。まして杓子定規に自分の常識に囚われてしまえば、時と場合によっては、それこそが非常識との謗りを免れないということもあり得ます。「常識」という言葉で何を意味するのかは、その人それぞれの考え方や生き方にも拠るでしょうが、「常識」とされることを疑いもなく受け入れてしまうのは、時代遅れになるリスクがあります。
フリーランスとして生き残る上では、「常識」を疑うことが大切ですし、中にはどうしても打ち破らなければならない場合もあるのです。
世の中の経済活動のように、不確実な要素が多分に含まれる環境における予測というものは、ほとんど不可能なほど難しいものです。
もちろん何かが起こった後であれば、後知恵によって何とでもそれらしい理屈をつけることは可能です。しかし見かけ上の規則性は偶然の作用によることも少なくないのであり、常識化した知識が常に役立つとは限りません。その中で生き残ろうと考えれば、たとえどんな状況に陥ってもリスクが大き過ぎて吹き飛んでしまうようなことがないように、自分で自分を守る術を身に付けることが大切です。誰もが一斉に同じ方向に進む場合にも、物事は単純ではありません。みんなが渡る赤信号に、突っ込む車が無いという保証はどこにもないのです。
例えば並行して走る電車の一方に乗っていると、もう一方の電車が同じスピードで走っている場合には、お互いに動いていないかのような錯覚に陥ります。しかし一方が止まっていれば、明らかに止まっている方は遥か後方に引き離されてしまいます。これはビジネスの世界でも同様であり、周りが止まっているように見えて、実はお互いに猛スピードで動いているということがあり得ます。そのような環境下では、見た目に騙されて動かないことは、最大のリスクにもなるのです。「待てば海路の日和あり」とは、何もしないで待っていることではなく、やるべきことをすべてやり切った上でのお話です。
日本において高度経済成長の幸福な時代を支えた終身雇用制が、バブル景気の崩壊を機に崩れ始め、これまでの安定したサラリーマン生活というものが、もはや望めなくなりました。それは一面では長く続いた安定に慣れ過ぎて、自ら挑戦することを忘れた結果と見ることも出来るでしょう。少なくともこれから先は、現状維持が後退を意味することは明らかであり、フリーランスに限らず日々挑戦を積み重ねることで確実に前進することが大切です。しかし肩肘を張って特別に大きな目標を掲げる必要はなく、これまでやろうとしなかったことに向き合って、日常の中で小さな変化を起こし続ければよいのです。
人と人とが会話をして分かり合うことを妨げるものとして、人が言葉から様々な異なるものをイメージするという点が挙げられます。つまりよくよく注意しておかなければ、人は話し手の言葉から勝手な内容を想像してしまい、全く異なるストーリーを頭の中で描いてしまうのです。そこで人に話を分かりやすく伝えるためには、簡潔に短くまとめて、常に相手が本当に理解しているのかどうかを確認する必要があるのです。そして人に話をするに先立って、まず頭の中だけではなくメモに書くなどして、話の要点を明確にしておくという準備が大切です。