人が生まれて自ら呼吸することを覚えた瞬間から、挑戦が始まります。あまりに幼すぎて自分が日々新たな挑戦を続けているということに気が付かなくても、そのうち自分の前には越えるべき壁があり、それを越える方法を自分で見つけなければならないことに、苛立ちや不安や諦めを感じる瞬間が訪れます。もちろん常にやる気一杯で積極的に向かって行ければよいのですが、目の前に現れる壁のすべてに挑戦するにはあまりに人生は短いでしょう。
社会人になって安定した収入とそれなりに快適な環境が与えられる毎日に慣れてくれば、仕事の上であるいは生き方として、挑戦することが億劫になりがちです。人は熟考するということには多くのエネルギーを費やすため、基本的にはそのような面倒な作業を回避出来るよう、脳の中にいつのまにか作り上げた近道を通って物事を判断します。これは、朝何時に起きるのか、起きて最初にまず何をするのか、ベッドからどちらの足でまず下りるのか、朝食には何を食べるのか、何を飲むのか、どんなシャツを着るのか、など際限なく繰り返す膨大な数の選択を効率よく進める上で大切なものであり、多くの場合には妥当な判断を下すことが出来るようになっています。
しかし、時と場合によっては、この近道のおかげで判断を誤ることもあるのです。慣れたやり方ばかりを行ってしまうために、意識的に考えを変えなければ挑戦しないというものです。もちろん太平楽な時代でそのまま将来に渡って世の中も何も変化することはないという状況における最適な選択は、現状維持かもしれません。しかし現実の社会には偶然があちこちに顔を出すのであり、将来の予測は不可能なため、その時その場における現状維持は実はリスクの高い選択なのかもしれないのです。
確かに人生の中でやりたいことがある人にとっては、将来の展望をありありと思い描くことが出来るのかもしれません。しかし人によっては、何かをしたいけれども何をしたいのか分からないと悩むものです。特に現状に不満があるわけではないけれども、このまま将来を無為に過ごすのが不安であり、何か行動を起こさなければならないと焦って自己啓発本を読み漁っても、自分にぴったりな挑戦が見つかるわけでもないのです。
しかし、視点を変えて「挑戦していないこと」探してみれば、案外目の前に転がっているものです。例えば机の上に積み上がった書類の山を毎日綺麗に片付ける、書類のレイアウトをもっと見やすく工夫する、いつも繰り返している同じ作業をもっと短時間で出来るよう工夫する、などそれまでは見過ごしていた挑戦課題が見つかる筈です。そのような課題に一つ一つ丁寧に向き合い続けることが、挑戦なのです。
例えば並行して走る電車の一方に乗っていると、もう一方の電車が同じスピードで走っている場合には、お互いに動いていないかのような錯覚に陥ります。しかし一方が止まっていれば、明らかに止まっている方は遥か後方に引き離されてしまいます。これはビジネスの世界でも同様であり、周りが止まっているように見えて、実はお互いに猛スピードで動いているということがあり得ます。そのような環境下では、見た目に騙されて動かないことは、最大のリスクにもなるのです。「待てば海路の日和あり」とは、何もしないで待っていることではなく、やるべきことをすべてやり切った上でのお話です。
日本において高度経済成長の幸福な時代を支えた終身雇用制が、バブル景気の崩壊を機に崩れ始め、これまでの安定したサラリーマン生活というものが、もはや望めなくなりました。それは一面では長く続いた安定に慣れ過ぎて、自ら挑戦することを忘れた結果と見ることも出来るでしょう。少なくともこれから先は、現状維持が後退を意味することは明らかであり、フリーランスに限らず日々挑戦を積み重ねることで確実に前進することが大切です。しかし肩肘を張って特別に大きな目標を掲げる必要はなく、これまでやろうとしなかったことに向き合って、日常の中で小さな変化を起こし続ければよいのです。
人と人とが会話をして分かり合うことを妨げるものとして、人が言葉から様々な異なるものをイメージするという点が挙げられます。つまりよくよく注意しておかなければ、人は話し手の言葉から勝手な内容を想像してしまい、全く異なるストーリーを頭の中で描いてしまうのです。そこで人に話を分かりやすく伝えるためには、簡潔に短くまとめて、常に相手が本当に理解しているのかどうかを確認する必要があるのです。そして人に話をするに先立って、まず頭の中だけではなくメモに書くなどして、話の要点を明確にしておくという準備が大切です。